自然は遍く全ての生命体の成長にそのエネルギーを平等に送るように、臼井レイキも自然から送られてきて、生命体の健やかな成長のために不調の修正(癒しの力)の力として、全てのものに働くことが分かる。
臼井レイキを始めて受けた頃のヒーリングの心地よさは素晴らしく、特に重い精神の苦しみを抱えたものには、その効果は感動的であった。
しかしそのうちに確かにその素晴らしさは認めるものの、叉もとの状態に戻るような心境、周りに繰り広げられる生活も幾分改善されたとはいえ、心の重さの前に感動もなく流れるのはどうしたことか。下手をすれば前の状況に戻り始める様相さえ出始める。
自己ヒーリングをする。収まる。またする。収まる。また・・・・という繰り返し。何か1つスッキリしない。不調の修正をしたら力強く心地よく暮らせるはずなのに、何故だろうこの調子の悪さは、と言う日々であった。
私が他者ヒーリングを行った人達は調子を取り戻し、それぞれに暮らし始めているというのに何故私だけがという出口のない思いを抱えた矢先、カルナレイキの講習を受け、思いがけなく私にとっての解決の糸口の様なものが見つかった様な気がした。
自分にわき起こる想いや感じる想いが、自分自身が発信源ではなく、本当は自分が関わっている者の想い(過去世に自分に関わった人々の想いや、自分の過去の想い、現在の他人の想い)も加わっているどころか、それが現在の想いに大きな存在を占める主体となっている気がする。
それ故本来の自分の想いの働きが、片隅に押し込められているとしたら、自分の想いは正しく生きる場をもてず、発育不良を起こしているのかも知れない。そして現実の肉体が心身の不調を訴えるのかも知れない。
カルナレイキはそんな想いの世界に関わる部分の不調を整えるのに、大きな力を発するような気がする。
受講後1ヶ月が経ち、その間度々カルナを使って自己ヒーリングをした。その結果、長年の心の弱さからくる動揺や苦しみに向き合う日々は日常的なことであれ、私にとっては自分の心の状態の変化に起こる気付きは、気のせいでない確かなものとして感じて良いと思った。
自分の心が主体となった想いの存在を確かに感じ始められると、他人の想いに自分の想いを翻弄される頼りない感覚から、自分が離れ始められたこと、人の状態がどうであれ、それに対応して自分の感情が大きく反応すると言うことから、一歩距離をおき始めた自分の変化を、少しずつ感じているこの頃である。
感じる想いの世界の変化が起きると、現実の自分を取り巻く世界の出来事も、穏やかに流れ始めたように気付くし、日常風景も変わって見えるから不思議な気持ちがする。
しっかりした自分がなければ、どんな良いこと悪いことの経験も、通り抜けていく出来事に過ぎなくて、自らの想いの世界を鍛え、拡げ、豊かにすることなく、小さい頼りないままに年を重ねていれば、人生の折々の課題は大きくなっていき、対応が出来なくなり苦しみも一層増すのであろう。
長い年月の出口のない妙な苦しみは、このせいで有ったかもしれないと今は思ったりしている。カルナは自分の想いの中に関わる自分を押しのけているものにさえ気付きをもたらし、自分を取り戻させ本来の場所へと導くようである。
現実の人間が主体性を取り戻し、人生の課題をこなしていくとき、彼らはきっと相応しき場所で、現実の主体の人間の行動から学び、想いの成長を遂げているのかも知れないと想う。
現実の今を生きるとき、自分が主人公となった本体の自分は、自分の想いの世界を経験を見ながらはぐくみ、しっかりとした自分の意識を持ち、自己制御し、意思の力を起こし、行動を起こしていけるようになり、自分が関わっていかなければならない他の想いを持つ存在にも、学びを与える、生の歩みを進めていけるのではないかと想ったりした。
人は本来このようにして生きる場を持ち、大きな力と繋がり、護られ、世の中は進歩しているのだと想うのだが、現実の人間は置かれる環境により大きな力との繋がりが薄くなり、主客が反対になるのでないか想うと、その環境にも眼を向け、外からも人に及ぼす悪い部分は改めていく必要が有るように思う。
カルナレイキはそういった場所に、悪影響を及ぼしている人々に働く、大きな力から来る恵みの1つかも知れないと思った。
【カルナレイキと臼井レイキの違い】
カルナレイキは思いの世界に強く効く薬、自分の歩みを歩もうとせず、服用を立て続けにすると、あまり気分が良くないような気がする。一方臼井レイキは穏やかに想いの世界よりも、もう少し奥深くから生命が健やかに育ち活躍するために働く力。
しかしどちらもあくまで日常生活をおろそかにして用いてはならないものだと想う。
臼井レイキは今を生きる人間と、それに付随する想念のエネルギー体の、どれにも存在する生命体に一様に癒しが注がれる。それぞれが一様に癒される。想念の世界は想念界を生みだしたもの達でというように介入はしない。しかし苦しみを生み出す主客転倒の状態までは関与しない。
ここまで重症なものにはカルナレイキが適当なものである。確かにカルナレイキは強く、良く効く。カルナレイキが気の世界の不調に気付き、癒し、回復し、整えて出発という形を取り、治療薬としたら劇薬と思う。 そしてその後は良薬である臼井レイキを使い、現代に現実に生きられる生命体と場を得た人間は課題をこなし、悩みも苦しみも喜びも命の糧としてこなしていく、日常生活を送るのかも知れないと思う。
根源から来る光は現世を生きる人間だけでなく、全ての生成化育の途上にある生命体に流れてその光は平等である。人間にとって悔しく忌々しいものにあってもそれにとっては平等である。
人間が悔しくも忌々しくも思う状態の関わり方は前世で在れ、今世であれ、その存在を生み出す関わり合いの対象者同士が、納得のいく折り合いをつけて行かなければならないのかも知れない。それが輪廻転生の理の世界かも知れない。そして有形の世界と、無形に渡り有形の人間が日常行動をする中で関わり合っていくのが、最も効果的で成長を促すものであるかも知れない。
地球上での生活は、その過ごす人生の過程に置いて折り合いを付け、納得してこだわりを解いて、本来の生命の旅を続けるための場所かもしれない。
これが出来る人の背後には、恐らくそ行為を無事に支えるだけの大きな力が働いているのでないかと思う。
折り合いの付け方のまずさから混乱を極め、救いがたい重症になっている生命の存在もあり、其処には色々と形を変えて救いの存在の力も行くようになった。その一つとしてカルナレイキもあるのではないかと思った。
善業を積む有徳の人、これが出来る人の背後には恐らくそ行為を無事に支えるだけの大きな力が働いているのでないかと思う。
カルナのシンボルについて言えばT−1(カルナTの1番目のシンボルの意味)は気付き、T−2はブロックを取る、T−3は癒し高次と繋がる、T−4は魂を、アストラルの魂の痛みと繋ぐ、U−1とT−3の組み合わせは源に繋がる、U−3は自分を取り戻す、U−4は平安という感じがした。T−1〜T−4は魄、想いの修正、U−1〜U−4は魂が真我と繋がる。
彼の人は人の気を腐らせるために生まれてきた人、その為の努力を最大限にした人、何が何でも自分が上でないと気が済まない人、人間の値を自分と同等まで貶める人、失望という暴力を与えて人の前進のエネルギーを弱らせ気を腐らせる人、期待という暴力で人々のエネルギーを吐き出させ、エネルギーを弱らせて人間性を貶める人。
自分の力で乗り越えて進むことは、たとえ成果は少しでも前進になる。自分の力で前進することを止め、人に頼り乗り越えたときは自分の力は育たず、次なる課題は乗り越えられない。こそくな手段もまたしかりである。明るく建設的な精神と行動と工夫で乗り越えて前に進みたい。
同じ行為も耐えるのと喜んでするのでは違う。憎しみや悲しみの想いをたぎらせてすれば、より悪くなり自滅する。そんなに苦痛無く淡々とこなせば、穏やかだが喜びも希望もない。強固な我の力でやり抜けば自己の慢心を招く。喜んですれば、意識のあるなしに関わらず何かの支えがある。
同じ行為もその過程に置いての想いが次の因果となる。父の看病に伴う世話は実家も婚家でも双方とも全く苦痛なく、心から当たり前のこととして出来た。
今から思えばその行為を支えられる、大きな力が働いているのかもしれない。他人の排泄物の始末をするとき、「私の行なのだわ」と思ったその時のその行為に伴う苦痛(いつも吐き気を押さえてしていた)や、やった後の思い上がった気持ちは不思議なくらいなくて、将に淡々と出来た。そして爽やかな世界が自分の中に拡がる。
この大きな違いは、それを行うときに、より良く生きたいと思う、自己を支えている力が働いているのを感じた。様々な出来事を支えきれないとき、極端な過剰反応、憎しみ、悲しみ、怒り、判断の狂いは恐らく支える力の反対の力が加わっているのでないかと思う。
病は心の現れ、心貧しければ大成は得ず。苦悩は因果の現れ、家に社会に影響を及ぼす。消極的は、心貧しく、智恵、愛情の不足。こそこそ、こせこせ、これはエネルギーが小さい。積極性は正しさに欠け、大きな誤りを犯す、エネルギーが大きいときの誤り。
これらのことに気をつけて、心豊かに、正直である強さを持ちたい。
コメント・・少々難解な文章ですが、この方にはお姑さんがおられて、このお姑さんが大変個性の強い方(と言うよりはこのお姑さん自身に、ある種の低級霊が取り付いていて、このお姑さん自身もその霊の犠牲者であるのでなかろうかというのが私の見解ですが)で、狡猾な方法で嫁虐めが行われ、結婚以来何十年にも渡って苦しんでおられる女性の話です。
こういった特異な事例にもカルナのシンボルは良く効くようで、この方はカルナの力で大変救われたと述べておられます。
この方自身もお姑さんを通じて、次第に霊の想念の中に引き込まれていっていたのが、次第に我を取り戻し、冷静に物事を判断できるようになった過程が最初の頁に書かれています。これは将にカルナ2−3の効能として書かれている、「第3者からのコントロールに目覚め自立していく」という効果に相当します。
この方は大変感受性の高い方ですが、臼井レイキは良薬、カルナは効き目はよいが劇薬としておられることも、カルナの他の方の使用感とも合わせ興味深いです。
カルナのエネルギーの本質は、異次元の神々の力を頂く種類のもののようですが、神々と上手に繋がって慈愛のエネルギーを頂けば大変効果が出るのですが、シンボルを強引に使って自力的な使い方をすると自身が大変消耗して仕舞いますので、この点に十分留意して他力的な使い方に習熟することが大切であると考えています。
|