受講生の体験談 65-1
「直観に導かれ、老子の如く無為自然に自然と調和して生きたい」
T.T、  男性、   20才

まず始めに、この3ヶ月はなかなかきつくて、気の遠くなるような日も有りました。2段階を伝授されて間もない頃は、浅井先生の言われたように3段階目は夏休みにしよっかなと思っていました。
 しかし日が経つに連れて考えてもどうにもならない「何故生きているんだろう?」というのが頭を巡ってきて、吐き気が出て気持ちが悪くなるようになってきて、これは先延ばししたら本当にやばいと思ったので、病院から退院して直ぐ行けるようにと予約を入れました。(そして第3段階予定日の前日の月曜日にタイミング良く退院となりました。)
 入院中は勉強が出来ない状態の時も有ったり、普通の生活と比べて恐ろしく暇だったせいか、色々気付くことも有りました。まず以前「何でみんなは自分が以前思ったように自殺しようと思わないんだろう?」と思ったことが有りましたが、それはみんなが忙しい、或いは忙しくしているからだと言うことが分かりました。
 例えばTVを見てれば気が紛れるし、仕事をすれば色々勉強をしなくてはいけないでしょう。そして学者や学生は自分に関係のない事(例えば18世紀のヨーロッパ経済についてなど)を、保身、名誉や単位取得のために必死こいて、それらを考えることによって、一番大切なことは真剣に考えない。(勿論考えても答は出ませんが、意識してないから話しにならないと言うこと)
自分はどーして名古屋にいるのかなと言うのも少し分かりました。自分は「名大の人達は東海3県の人が異常に多いし、保守的でなんてくだらない連中なんだ」と思っていましたが、何のことはない自分が保守的だからそこにいて、そーいう人達に囲まれていたと言うことに気がつきました。
 僕は1年の時に大学を辞めようとしたことが有りましたが、その時親は泣くし、先生の説得も有ったりで、結局辞めませんでした。しかしその時辞めなかったのは、自分の将来を考えて守りに入った、要するに小心だから、というのは自分では分かっていました。
 大体大学を選ぶときも東京はなんか怖いし、九州は広島より暑い、しかし名古屋は広島に気候も似てそうだし、当時の自分の偏差値なら余裕だからてな具合でしたし。
 そして自分で「何故生きているのか?」と思うときに、どうして吐き気が出るか、これも小心であることと繋がっていることが分かりました。 自分は直感で生きる、というか毎日直感を行動に移し続ける、creationし続けることによって、覚醒に至り更に成長し創造していく、というのは知識として頭だけでは知っていました。
 しかし自分にとってはそんなむちゃくちゃ(特に保守的な人や理性的な人からすれば)な事は出来ない訳で、そこの葛藤でバランスが崩れて具合が悪かったんだと思います。
 直感で生きるにはどんな修行もいらないし、誰でも、何処でも、「今直ぐ」出来ます。しかし問題はそれを「やり続けるのはめちゃくちゃきつい」事です。
 第1に自分を信頼してないといけないし、それに宇宙というか、この世界のシステムを信頼してないとまず無理です。大人になるに連れて頭で考えて、物事をコントロールしようとするようになりますから、不安でしようがない。
 自分がレイキをやってみようと思ったのも、そう言う理由からだったので、取りあえず3段階目を伝授して貰えるまでは、死なずに頑張ってみようと思って今日まで来たわけです。
 次ぎにレイキを始めてから、人間関係が良くなったというのを本や体験談で良く目にしましたが、自分はそんなことはなく、何でかなと思いましたが、それも当然だというのが分かりました。
 自分のこれまでの人生が、1つのポイントである「覚醒」に向かっているというのは1ヶ月くらい前に気付きましたが、まず「自分がなんで生きているのか?」と真剣に思いながら、女の子と付き合うというのは、本当に真剣に付き合おうと思えば出来ませんし、友達と遊べません。
 勉強をやる気になりません。エンジンがどうのこうのとかも頭に入りません。バイトや仕事をして金を稼ぐ気にもなりません。プロ野球もドウでも良い。何をしても楽しくない。なぜなら空虚だから。
 「自分は何者なのか」「何で生きているんだ」・・・。一番大事なことをさておいて、そーいう事を普通の人達がやってるようにするというのは、自分には出来ない。
 ひたすら空虚さを感じながら、生きている人間に人が集まるわけがないし、むしろ自分が人を排除しているので、人間関係が良くなるわけも有りません。
 そもそも自分が「なぜに生きるのか」と言うことを真剣に思うようになったのは、交通事故がきっかけでした。でも事故した人がみんなそう言う風に考えるようにならないことは、病院で生活し観察して良くわかりました。
 自分の場合はその事故った後に臨死体験というか、神秘体験と言うかが有ったために、無視できない問いとなったわけです。それがなかったらそう言うことは考えても、直ぐ普通の生活に戻って、空虚な人生を空虚とも思わずに生きていた可能性大です(分かりませんが)。
 世の中には精神世界の本を読んで、何か癒された気になったり、出家したりして、生まれ変わりとか、カルマがどうのとか、あと哲学したりして、妙に納得、安心しちゃってる人もいます。
 僕が「生死」を考えるようになっても、宗教に行かなかったのは、その事故の時の体験の影響が大きいです。宗教にはいって信じる、精神世界の本を読んで癒される、哲学して納得する。何にしても観念、頭の中だけです。
 しかしあのときの体験は何というかもの凄い、桁違いのリアルさでした。外からではなく、内からしかも瞑想のように意識レベルのみでなく、身体と意識全体で知覚しているようでした。
 あと名大生がしょぼいってのを書きましたが、昨日コンビニで立ち読み中に気付いたことが有りました。自分が中学生の時までは凄いやつがいて高校に入ってからは、何かみんな粒がちっちゃくて、つまんねえと思って生活していましたが、本当に中学の時の彼が天才だったかは分かりませんが、彼のオーラが桁違いだったんだということに気がつきました。
 それと高校の時ももしかしたら凄い人がいたかも知れないけれども、管理教育にどっぷり浸かって、リスク知らずに計算して生きるようになったために、自分の感受性が衰えて、人のオーラを感じる事が出来なかったんだということも気付きました。
 そんなこんなでここまで来ましたが、自分がこれからしたいこと、する事は「直感で生きる」これにつきます。それ以外何かしようとも思わないし、自分がしたいことは宇宙の方が知っているはず(当然か)
 直感を知覚し、決心し(これが大切)、行動に移して、人間の本体(本質)の原子核の振動数を上げて、ある振動数に至ると覚醒し、それからも振動数はそうすることにより(creation)、上がり続ける。 要するに物質、生物達は、本質の振動数を上げるため、宇宙を理解するために、生死を繰り返す。これは足立育朗さん著「波動の法則」(PHP出版)からの情報ですが、これだけではそれこそ観念だから、今までずっとこれを試してみたいと思っては駄目だ、というのを繰り返してきたわけです。
自分は例えばイメージして自分が生きたいように、思い通ーりに生きる、なんてのは興味が有りません。それではエゴが満足するだけで、何の成長も無いことが分かり切っているからです。
 老子が言っているように無為自然、即ち直観で何の加工もせずストレートに行動に移して(決心してから)、自然(のシステム)と調和して生きるのが今の理想です。
 今の心境としては何か矛盾するようだけど、少し怖い感じです。例えると(例えになるか分からないけど)今まで自分がマンガに書いて物語を作ってきたのが、急にそのマンガの主人公に自分がなっているような、そんな感じです。

コメント・・この方は有る事情で大手術をするため病院に入院して見えました。その間に色々考えられたようです。この方は大変真面目な青年です。この方の心の悩みは、私自身若い頃同じような悩みを持って、結局惰性的に生き、それでもそれも納得行かず、色々苦しみ紆余曲折を経て、周りにも相当の迷惑をかけて、現在に至っている私にとって、人ごととは思えない気持ちです。
この方と私との大きな違いは、この方が交通事故を境に臨死体験というか神秘体験を持たれたことと私より遙かに鋭い感性を持っておられることでしょうか。
 このかたはその後第3段階を経て、心に不安が無くなり、自分が求めていたものが明確になってきたと仰っています。この方は交流会の席で「第3段階やるとエネルギーのレベルが今までと違う。自分のエネルギーは何処にもないと感じた。マスターシンボルは音で表すと「ゴーッ」と言う感じでエネルギー入る。第3段階をやってから不安感無くなった。 第2段階までで気付いていたが、逃げていたことを言い訳するのがきつくなった。今はやるしか無いという感じだが内容は秘密。」と仰っていました。
 この方に臼井先生と宇宙エネルギーの大いなる祝福が有り、この人が今世この世に生まれてこられた意味を見いだされ、生き甲斐有る人生を送って行かれることを心よりお祈り申し上げます。